【コラム第63回】 希望を与えるヒーロー

 新しいことに挑戦するのは素晴らしいことです。これはおそらく世の中の誰もが思っていることでしょう。挑戦をすること自体を否定する人などまずいません。

 ところが、具体的な場面になると、途端に考えが変わる人が多いようです。頭では「挑戦するのは素晴らしい」と考えていますが、リスクを考えるとつい尻込みをしてしまうからです。
 もともと挑戦には必ずリスクが伴います。そのため頭の中に試してみたいアイデアがある場合でも、失敗したときのリスクを恐れて行動を思いとどまる人が多いのが現実です。

 私は地域振興に力を注いでいますが、このような風潮をなんとか変えることができないかといつも思案しています。
 大企業が集中する都会とちがって、もともと地方には強い経済基盤がありません。そのため職を求めて地方から都会に流れていく人の流れをなかなか止めることができないのが現実です。
 この状況を変えるには、人をとどめておくことができる強い経済基盤を地方につくることが必要です。そのためには新たな事業を次々と立ち上げるなどして、雇用の場を増やしていくことが求められます。
 そして、これを実現させるには、新たな挑戦に前向きに取り組み、それが誰からも支持されるような風潮が不可欠なのです。

 現実はまったく逆です。おそらくどこでも似たり寄ったりでしょうが、地方で一番人気の職場は「県庁か役所」というのがお決まりのパターンです。
 しかも、この傾向はもともと公務員志向が強い学力的に優秀な人たち(地方ではとくに顕著)だけでなく、起業家としての才能にあふれている人間力のある人たちにも見られます。これは人々の間に、「新たなことへの挑戦」よりも「安定した状態」を求める気持ちが強いことを意味しています。
 ただし、これは本人たちの姿勢というより、社会全体の価値観の問題として考えなければなりません。挑戦より安定を求めているのが半ば当たり前になっており、まわりが挑戦を辞めるように説得することも珍しくないのです。これでは民間の活動に活力が出てこないし、地方の活性化が進まないのは当然です。

 とはいえ、日本という国全体で見ると、こうした風潮が少しずつ変わってきているようには見えます。最近は、東大のトップクラスがこぞって役人を目指すようなことがなくなりました。これなどは一つの象徴です。
 もちろん、東大のトップクラスが役人を目指さなくなったのは、公務員が安定的かつおいしい仕事でなくなったということもあります。しかし、私はそれだけではない見ていません。私は起業支援を行っているので、いろんな場所で学生たちと接する機会があります。その際の印象として、以前に比べると安定より挑戦を求める人が確実に増えているのを強く感じるのです。
 これはまだ些細な変化かもしれませんが、たいへん喜ばしいことだと思っています。

 フロンティアの国であるアメリカには、新しいことへ挑戦する文化があります。この動きは次代の発展の芽になってきました。
 最近は中国をはじめとするアジアの国々でも、人々の間で挑戦意欲が高まっています。そして、この流れが昨今のアジアの経済発展に大きく寄与していることはまちがいありません。
 日本は明治維新で国のあり方を革命的に変え、西欧諸国に追いつくために急激な成長を遂げたように、あるいは戦後成し遂げた経済発展を見ても、挑戦のDNAは確実に存在していたのです。経済大国になっていったんは安定志向が幅を利かせるようになったものの、ここへ来て再び挑戦への萌芽が出てきています。 
  これがやがては時代を動かす大きな流れになることでしょう。エネルギッシュな若い人たちを中心に、安定より挑戦を求める気運が高まってきたことで、未来に大きな期待が持てる状況になっているのではないでしょうか。

 私はこの流れをぜひ地方にまで広げていきたいと考えています。そのため人々の目標になるヒーローの登場を願っています。
 多くの人が新しい挑戦に否定的なのは、成功したときの姿を想像できないからです。ヒーローはいわば、成功したときの自分の姿を体現している存在です。こういう人が身近にいてくれると、まわりは俄然やる気が出てきます。
 ヒーローがまわりを刺激してくれたら、新たな挑戦は活発になります。その中から次のヒーローが出てくれば、まわりはさらに刺激を受けて考え方や行動が変わります。そして、保守的といわれる地方に、このような好循環をつくるのが私の目標です。

 私は「アルビレックス新潟」というJ1所属のサッカークラブの経営に携わっています。このクラブはスポーツ不毛の地といわれた新潟の人たちに希望を与えていると高く評価されています。
 そのアルビレックス新潟から、矢野貴章という選手が今回のワールドカップのメンバーに初めて選出されました。地元のサッカークラブのメンバーが世界が注目するピッチに立っているのですから、いつもにも増して盛り上がっています。

 じつは今回のワールドカップには、アルビレックス新潟からもう1人、19歳の酒井高徳(ごうとく)という選手がサポートメンバーとして参加しています。日本代表に同行する練習のサポート役で、ロンドン五輪世代を中心とする若手から4人が選抜され、見事にメンバー入りを果たしました。
 彼の抜擢も、クラブの他のメンバーには刺激になっています。また、プロのサッカー選手になることを目指している新潟の子どもたちからも注目を集めており、少年サッカークラブの子どもたちが「第二の矢野」や「第二の酒井」を目標に毎日一生懸命練習をする姿が見られます。

 アルビレックス新潟には、この二人以外にも有望な選手が数多く在籍しています。彼らの中にはユースの各世代で日本代表候補になっている選手もいて、クラブの内外に多くの刺激を与えています。
 スポーツ不毛の地だった時代は、新潟の人たちがサッカーで日本代表になるなど夢のまた夢でした。そもそも日本のトップレベルのプレーからして、たまにテレビで見るしか機会がありませんでした。それが地元のサッカークラブができてJ1に参戦したことで、全国レベルのプレーが間近で見られるようになりました。これだけでもかなり刺激的なことです。
 しかも、いまは身近なところに全国で通用する選手たちがたくさんいます。そして、その中で同世代のトップになった人たちは、各世代の日本代表候補になっているのです。日本代表入りを目指すといっても、昔は漠然とした夢でしかありませんでした。いまは地元のクラブで、同世代のトップになることで道が開けるとわかっているのですから、目標が具体的になってサッカー選手を目指している人たちは俄然やる気が出ていることでしょう。

 矢野貴章や酒井高徳をはじめとするアルビレックス新潟の選手たちは、まちがいなく新潟のヒーローです。新潟でサッカーに関わっている人たちは彼らの存在に強い刺激を受けて、ステップアップのための挑戦の意欲をかき立てられています。
 私は地域振興を進めるために、起業でもこのようなヒーローを新潟につくりたいと考えています。ヒーローがいると、同じ道を目指している人にいい意味での刺激を与えます。その連鎖で、地域の経済を活性化していきたいと考えているのです。

 突出した存在はまだいませんが、起業のヒーロー候補は着々と育っています。その中から矢野貴章や酒井高徳のようなヒーローが出てくるのはそう遠くないでしょう。そんなヒーローたちから刺激を受けて、地域の経済が活性化される日が一日でも早く訪れることを心から願っています。

池田 弘