新潟市有形文化財にも指定される古町愛宕神社【コラム191】
先回のコラムでは、古町神明宮(船江大神宮合祀)について紹介させていただきましたが、私の家で御守りしているもう一社の神社、古町愛宕神社について今回はご紹介したいと思います。
古町愛宕神社は、京都の愛宕不動尊の愛宕様が全国に普及し、各地域でお社を造って産土神として定着していった神社です。慶長14年(1609年)に新潟浜村(現関屋地区)で創立されたと伝わっていますが、創立時にどこにあったのか、正確な場所は残念ながら分かっていません。新潟の町が古新潟と呼ばれていた場所から現在の場所に移転した明暦年間(1655年~1657年)に古町愛宕神社も移転したと伝わっています。
愛宕神社は火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)、天熊人(あめのくまひと)を祀っています。火之迦具土神は「火の神様」です。火で山野を焼き払い焼畑を作って、五穀をそこに蒔き収穫をはかった「農耕守護の神様」、火の力を尊び火の持つ総てを焼きつくす力を怖れ防火の祈りを捧げる「防火の神様」、火の恵みを感謝する神として一般家庭では「台所の守護神」、冶金業・飲食業関係者からは「商売繁盛の神様」として、広く信仰されています。伊邪那美尊は、国生みの神様で「縁結び」「結婚」「夫婦円満」「子宝授け」の神様です。天熊人は、古くはお米(稲)のことをクマといったもので、「五穀豊穣の守護神様」です。
愛宕神社の本殿は、1700年代初期から中頃までの間に建築されたと推定されています。新潟市に現存する中で有数の古い建築物で、増改築もほとんどないのが特徴です。平成13年(2001年)に新潟市有形文化財(建造物)の指定をいただきました。
また、愛宕神社には、境内社として稲荷神社と口之神社の2社が鎮座しています。
稲荷神社は、保倉神(うけもちのかみ)をお祀りしています。稲荷という言葉は元来、稲生(いねなり)あるいは稲成(いねなり)という意味で、稲が立派に生成化育する守護の事を表したものです。生命の祖神と讃えられ、「命を守り育てて下さる祖神(子育て、病気平癒)」「五穀食物の守り神」「商売繁盛・商取引の守り神」「1年中の幸福守護の神」「人々の不浄・穢れを祓い、お守り下さる神」という5つの御誓願をもって私たちを御守りくださる神様です。
口之神社は、明治17年(1884年)に千葉県の口ノ宮神社の御祭神 木内惣五郎(木内宗吾あるいは、地名から佐倉宗五郎とも称します。)の御分霊をお迎えし、合わせて明和5年(1768年)に新潟町でおこった「明和騒動」の首謀者である義人 涌井藤四郎と岩船屋佐次兵衛らをお祀りしています。
明和騒動やその中心人物の涌井藤四郎と岩船屋佐次兵衛については、このコラムで以前ご紹介したことがありますが、困窮する町民の暮らしを救おうと立ち上がり、長岡藩から二ヶ月弱もの市民自治を勝ち取ったという、パリコミューンの100年も前に新潟湊であった自主自立の精神とエネルギーにあふれる出来事です。その後、その中心となった二人は密かに町民たちの間で義人として讃えられ、語り継がれてきました。彼らは江戸幕府から見れば罪人なので、公に奉ることは許されず、愛宕神社の境内でひっそりと奉られ、二人の活躍は古町芸妓の口伝で受け継がれてきたそうです。時代が変わり、明治17年(1884年)になってようやく、千葉県の義民であり口ノ宮神社の御祭神である木内惣五郎の御分霊をお迎えし、涌井藤四郎と岩船屋佐次兵衛を合祀し、お社を建立しました。
このような由来から、弱き人の声を聞き、正義を守り、正義を貫く人々の守護する「争い事を治める神様」「家庭円満の神様」、法曹界からは「司法試験合格の神様」「勝訴のご祈願をするお宮様」、選挙の際は「当選祈願のお宮様」として崇められ、また花柳界の信仰も厚い神様です。
この二人の義人の物語は、新潟市が政令市になった平成19年(2007年)に、政令市への移行を記念した事業への公募に市民から「明和義人」の演劇が提案され、クローズアップされました。この演劇はNHK大河ドラマ「天地人」の作者としても知られる作家の火坂雅志さん(故)が原作小説「新潟樽きぬた 明和義人口伝」を書き下ろした事で実現しました。また、平成20年(2008年)に、地域の義人を伝承するお祭りとして「明和義人祭」を始めました。最初は古町愛宕神社の境内だけのお祭りとしてスタートしましたが、地域の商店街の皆さんからも賛同をいただき、平成22年(2010年)からは実行委員会が主催する形で毎年8月に開催されています。昨年はコロナ禍の中、止む無く中止とせざるを得ませんでしたが、今年は開催にむけた検討が始まっています。
また、古町愛宕神社はNSGグループの発祥の地でもあります。昭和52年(1977年)の4月、この神社の境内に2階建ての校舎を建て、学習塾、資格取得教室、5か国語の語学教室、カルチャースクールからなる教育事業「新潟総合学院」を始めたのが、現在のNSGグループの原点です。その原点となった建物は、現在もNSGグループの本部として大切に使っています。
神社では、人々の幸せや地域の発展を願い、祭祀にいそしみ、祝詞を奏上いたしますが、NSGグループの行う事業活動もその目指すところは全く同じです。NSGグループは、「人々の幸福と豊かさを実現するために 社会のニーズに合った事業の可能性を追求し 地域社会・国家・国際社会の発展に寄与する」という経営理念を掲げています。教育事業からスタートし、医療・福祉・介護やスポーツ・健康分野、不動産分野、食・農分野など多角的に事業を展開していますが、どの事業もその理念を共有して事業活動を行っています。経営理念の中に事業ドメインを示す文言を含めている企業も多くありますが、NSGグループの理念にはそれがありません。事業活動はあくまでも人々の幸福や、社会の発展に寄与するための手段です。経営理念に沿うものであれば、あらゆる事業分野に可能性が広がっています。
「神職と経営者という2足のわらじを履いて大変ですね」と言われることもありますが、元をたどれば、神社もNSGグループの事業も同じ「人々の幸せや地域の発展を願う」という事にたどり着きます。手段や方法は違えども、私の中では一つの事と捉え、ライフワークとして取り組んでいます。
これからも人々の幸せや地域の発展を願うと共に、同じ志を持って頑張る若い人たちを精一杯応援することで、微力ですがその実現に貢献していきたいと思います。 〆