田上の豪農の館「利恒庵」【コラム194】
今年1月、(株)エバーソフトと(株)エバーライフがNSGグループに加わりました。(株)エバーソフトは布団やベッドなどの寝装品とカーテンやブラインド、カーペットなどのインテリア用品を扱う商社で、(株)エバーライフは内装工事やカーテン・ブラインドの販売・取り付けなどの建設業の会社ですが、そのご縁で新潟県南蒲原郡田上町の豪農の館「利恒庵」の管理もNSGグループで引き受けることになりました。「利恒庵」は、建築から既に100年以上が経過する歴史的価値の高い建物で、先日視察してまいりました。今回のコラムではその「利恒庵」について書こうと思います。
「豪農」というのは、江戸末期から明治前期にかけて広大な土地を所有し、社会的にも勢力を持った農家の事を指し、各地域に存在します。その中でも千町歩以上を所有していた巨大地主は北海道を除くと9家あり、そのうち5家が新潟県にあったそうです。越後蒲原の豪農・田巻家もその一つで、その邸宅として明治末期に建てられたのが利恒庵(旧称・椿寿軒)です。数寄屋造りの母屋と自然あふれる庭園との調和が高く評価されています。また、田巻家が収集した美術品の一部や、当時の農機具、生活用品なども利恒庵に蔵置されています。
田上の地主である田巻家は、新田開発や農業技術の改良にも取り組み土地の集積を進め、江戸時代末期には約1300町歩を有し、名字帯刀も特例として許されていたそうです。1300町歩と聞いてもそのスケール感がどれくらいのものなのかイメージがわきにくいと思いますが、1町歩が約1ヘクタールですから、13キロメートル四方の面積になります。現在ならば公共で行うような地域開発の事業を担っていたという事です。田上の邸宅から自分の土地だけを歩いて弥彦まで行けたという逸話も残っています。
豪農は明治以降の新潟の財界にも大きな役割を果たしたとの事ですが、田巻家は第四銀行の設立発起人にも名を連ね、7代目当主の田巻賢太郎氏は頭取も務められたそうです。
また、利恒庵に隣接して、椿寿荘(ちんじゅそう)という田上町が現在所有・管理する離れ座敷があります。田巻家7代目当主が大正3年(1914年)に建築を開始し、3年の年月をかけて完成させました。宮大工の技術を用いて釘を一本も使わず建てられた贅沢な書院造りの建物で、田上町指定文化財にもなっています。椿寿荘は一般公開されており、新緑や紅葉のシーズンには新潟県内外から多くの方が訪れる観光スポットになっています。
離れ座敷の椿寿荘は当初は母屋である利恒庵と渡り廊下で結ばれていたそうですが、現在は離れた独立した建物になっています。椿寿荘を訪れた方の中には利恒庵も見学したいという方もいらっしゃるそうで、毎年秋に利恒庵と椿寿荘の同時鑑賞会を開催しています。
田上町は、新潟の奥座敷とも言われる湯田上温泉や護摩堂山の自然など魅力にあふれた地域ですが、椿寿荘と並び立つ利恒庵にも田上の歴史を伝える文化的な観光資源としての価値があると思います。
今後の利恒庵の活用の可能性を検討していく上で、地域活性化のお役に立てることがあれば協力していきたいと思います。 〆