【コラム第59回】 和の精神

 今回のテーマは「和の精神」です。私たちはまわりの気持ちを考えながら生きています。相手が見知らぬ他人であっても、好んで感情を害したりすることを行う人は滅多にいません。
 よく日本人は、昔に比べるとドライになったとか、他人に無関心になったといわれます。それでもまわりとの関係を悪化させながらでも何かをやろうという人が少ないのは、日本人に根付いている「和の精神」の為せる業ではないでしょうか。

 和の精神は、古くから伝わる神道に根ざしているものです。これはどんな人ともなんでもかんでも仲良くするということではありません。波風を立てなければいいとか、自分を押し殺して相手に合わせればいいというのは、「事なかれ主義」でしかありません。
 「和」というのを一言でいうなら、それぞれが力を発揮する中で、調和がとれている状態です。これは新しいものを生み出す大きな力になりますが、この状態を実現するのはなかなか難しいことです。

 それは集まっている人が増えれば増えるほど、エゴとエゴのぶつかり合いが多くなるのが世の常だからです。その中で調和をはかり、なおかつそれを新しいものを生み出す力に変えていくには、そこにいる人たちに相手や状況によって柔軟に考えたり対処していくことが求められます。

 この柔軟さは、神道の真髄そのものです。もともと神道は、固定化した形で教えを示していません。日本人にとって身近なものなのに、「神道とはどういうものですか?」と聞かれて明確に答えられる人が少ないのもそのためです。
 これは「教えが曖昧」というのとはちがいます。どんなときでも「かくあるべし」という態度では、多種多様な問題に対処することはできません。そのため思考や行動を制限することになる教典を、あえてつくっていないのです。

 世界を代表する宗教には必ず教典があります。キリスト教には『聖書』があり、イスラム教には『コーラン』があります。そして、そこには「なすべきこと」や「なしてはいけないこと」が書かれています。
 これは唯一絶対の神を崇拝対象とする「一神教」の特徴でもありますが、神道はこれらとは異なる「多神教」です。畏敬の念を持つ対象とする神様はたくさんいます。自然そのものや自然現象などの目に見えるものから、目には見えないけど感じることができるすべてのものに神性を認めて敬っています。

 一神教と多神教では、このように神様との向き合い方がまったく異なります。そして、この考え方のちがいは、人との関わり方にも現れています。
 一神教的な考え方の持ち主は、絶対的に正しいのは「自分ないし自分のグループだけ」という偏った見方をしがちです。自分と異なる考え方は「異端」になるので、その人たちの価値観や主張をなかなか受け入れようとしません。

 それぞれのグループが、別々の場所で暮らしているうちは、これでもまったく問題はありません。ところが、同じ場所で暮らす場合はそうはいきません。
 極端な考え方をしているグループ同士のぶつかり合いの先に待っているのは、たいていは悲惨な結果です。お互いに一歩も譲ろうとせず、自分たちの正統性を主張し続けた挙げ句、宗教戦争のような争いが起こることが現実にしばしばあります。

 もしも彼らに多神教的な柔軟さがあれば、このような争いは起こり得ません。いろんなものに価値を認められるので、異質なものに接したときでも、警戒をすることはあっても単純な「排除の意識」が働くことはないからです。

 和の精神が根付いている日本人は、このような柔軟さを持っています。事実、私たちの祖先は、仏教や近代文明など海外から伝えられた異質なものを取り込みながら、独自の文化を発達させてきました。
 異質なものに出会したときにこれを排除することなく受け入れ、調和をはかりながら、新しいものを生み出す力に変えてきたのです。これは世界に誇れることではないでしょうか。

 21世紀は「グローバリゼーションの時代」といわれています。グローバリゼーションというのは、社会的あるいは経済的などすべての事柄が、国家や地域などの境界を越えて地球規模でなされることです。
 世界には多種多様の考え方や価値観を持つ民族や国家があります。それらの人たちが等しく「絶対的に正しい自分の価値観」を主張していたら、地球規模で何かを行うことなどできません。これでは人類が一致協力するどころか、意見のぶつかり合いによって争いが絶えない世界になってしまうのは目に見えています。

 グローバル時代に求められるのは、異質な価値観であっても排除せず、すべて受け入れながら全体をまとめていくことです。そのためには自分と異なる多種多様な価値観を認める、多神教的な柔軟さが不可欠です。
 日本にはそのような考え方があるし、世界第2位の経済大国として国際社会の中のあらゆる場面で発言できる立場にもあります。私たちに求められているのは、自らの文化に誇りを持ちながら、国際社会の場で多様な価値観を受け入れながら解決策を見いだす柔軟な考えを広めていくことではないでしょうか。それが日本がやるべき真の国際貢献ではないかと私は考えています。

池田 弘