晩夏の風物詩「明和義人祭」をリアル開催【コラム207】
毎年8月下旬に、私が宮司を務める古町愛宕神社の境内社口之神社で祀っている「明和義人」を慰霊、顕彰するお祭り「明和義人祭」を行っています。昨年、一昨年はコロナ禍ということで、大勢の人が集まる行事の開催は控え、神事や明和義人のコミックの地元小学生への配布、TV・インターネットによる情報発信などを行ってきました。ワクチン接種が進んだことや、社会全体で感染対策を行いながらも経済・社会活動を取り戻していこうという方向に舵が切られたことも受けて、一部の行事は以前と開催方法を変更いたしますが、今年は地域の皆様からも参加いただける催し物として8月27日(土)に「明和義人祭」を開催することが決まりました。
この明和義人祭は、江戸時代の明和年間に新潟湊であった「明和騒動」という出来事にちなんだお祭りです。当時の新潟は長岡藩が治めており、藩が課した重税に反発して住民たちが立ち上がり、町民による自治が2カ月ほど実現しました。この騒動の中心人物とされているのが涌井藤四郎とそれをサポートした岩船屋佐次兵衛です。二人は後に長岡藩により打ち首にされてしまいましたが、地域の人たちは「明和義人」と呼んで称えました。しかし、二人は藩から見れば罪人なので、町民が堂々と義人として讃える事が憚られる時代が続き、新潟湊の誇るべき義人の活躍は古町芸妓の口伝により密かに伝えられてきました。
時代が江戸から明治に変わった頃、明和義人を公に奉るために動きがあったそうですが、やはり罪人である事を理由に最初は明治政府から許可が出なかったようです。明治17年(1884年)になってようやく、千葉県の義民であり口ノ宮神社の御祭神である佐倉惣五郎の御分霊を迎え、涌井藤四郎と岩船屋佐次兵衛を合祀し、口之神社でお祀りすることができるようになりました。
パリ・コミューンの約1世紀前の時代に新潟で起こった自主自立に満ちた明和義人の物語を現代に伝えていこうと、平成20年(2008年)に「明和義人祭」はじめました。最初は神社の境内の中のお祭りとしてスタートしましたが、翌年には古町1番町、2番町に会場を広げ、平成22年(2010年)からは神社のある上古町商店街の皆さんと協力して実行委員会を設立し、古町1番町から4番町まで開催エリアを広げ、コロナ前の令和元年(2019年)には1番町から6番町までの自治町内会や商店街振興組合の協力の下、賑やかに開催されていました。
晩夏の風物詩として地域に定着し、年々盛り上がってきていた中で、コロナ禍により活動を縮小せざるをえない年が2年間続きました。こうした地域の活動は盛んになっていくまでに時間がかかりますが、活動を止めると瞬く間に衰退していくものです。お祭りの多くは宗教行事で、感謝や祈り、あるいは慰霊のために神仏や祖先をまつる儀式としての目的がありますが、地域の商店街、町内会、市民の皆さんが参加して一体感を得る場であり、郷土愛や地域愛を感じるきっかけにも繋がる貴重な場でもありますので、今年またそうしたお祭りを開催できることを大変うれしく思います。また、社会全体としてはまだコロナ禍で閉塞感がありますが、勇気をもって行動し、自らの手で未来を切り開いた明和義人の物語に触れることで、未来への希望を感じてもらえる機会になればと思います。
明和義人祭実行委員会では「WITHコロナ。感染対策を施し全員で盛り上げ、そして全員で楽しむ。」というスローガンを掲げ、お祭りの準備にあたっています。3年ぶりに、賑やかな晩夏の風物詩「明和義人祭」が開催されるのが今から楽しみです。お近くの方はぜひ足を運んでいただければと思います。