【コラム第52回】 明和義人祭

 8月23日と24日、新潟市の上古町で「明和義人祭」が行われました。「カミフル」と呼ばれるこの地区を、愛宕神社の神職や芸妓さん、町内会の代表の皆さん、そして義人の涌井藤四郎や岩船屋左次兵衛らに扮した面々が、行列で練り歩き、様々な行事が行われました。
  大勢の方に訪れていただきましたが、売店も出店し、賑やかで暖かい雰囲気に包まれた祭りとなりました。参加したり、見物された方々は、晩夏の夕刻、祭りを楽しみ、わが街新潟の歴史に思いを馳せたのではないでしょうか。

  この祭り、私が宮司を務めます愛宕神社と境内社の口之神社が、古町1・2番町の自治町内会などの協力を得て行われたものです。
  明和義人のことについてはこのコラムでも何回かご紹介してきましたが、新潟で素晴らしい自治精神が発露された歴史であり、新潟の人間が持つ強烈なエネルギーが証明された歴史です。
  この歴史を地域のお祭りの中で継承していこうというのが「明和義人祭」の趣旨です。

  今回のコラムでは、数点の写真と共にこの祭りの模様をご紹介したいと思います。ちょっとした時代絵巻が繰り広げられた上古町の様子、これらの写真からイメージしていただければ幸いです。

  祭りは8月23日(日)が初日でした。関係者が神社に参拝したあと、神楽舞で始まりました。写真の①は、愛宕神社で行われた神楽舞のヒトコマです。愛宕神社境内に集まった子供らにお菓子を撒く大黒様です。

  ②は、口之神社に手を合わせる芸妓さんです。愛宕神社の境内にひっそりと立つ口之神社は、その明和義人である涌井藤四郎と岩船屋佐次兵衛を合祀した神社です。

 明和義人については、罪人として裁かれたこともあって、表立って口にすることは憚られた時代が続きました。そんな中、町人や芸妓さんたちによってその偉業が語り継がれてきたという歴史があります。
  愛宕神社境内で踊りを披露している芸妓さんが、③の写真です。

  23日(日)夜には、愛宕神社境内で宝井琴梅先生による講談の会がありました。写真の④、⑤がその様子です。240年間に新潟であった明和義人のお話を巧みな話術で語っていただきました。

 そして日付は変わって24日(月)。写真の⑥、⑦、⑧、⑨は上古町を練り歩く行列です。⑦で涌井藤四郎役を務めているのは、先月のこのコラムでご紹介した、糀のお店「古町糀製造所」を経営する和僑商店の葉葺社長です。
  シャッター通り化が心配されたこの地区ですが、ここ数年若者向けのお店や、糀を使った飲料のお店(先月このコラムでご紹介しました)、アロマのお店などが開店し様変わりを見せています。

 オーバーアーケードも一新され、道路は石畳に変わりました。この変化を見せる上古町を、明和義人ゆかりの人物らに扮した面々や我々神職、芸妓さんが練り歩きました。

  ⑩は「にいがた総おどり」が繰り広げるパフォーマンス、⑪は一般の方々も参加して行われた盆踊りの様子です。私の幼い頃からの顔なじみの方々にもたくさん参加していただきました。皆さん楽しそうでしょう?

  人々が集い、会う場所だった社(やしろ)。「社会」と言う言葉の語源はそこにある、が私の持論ですが、この祭りも愛宕神社を中心にした会場で、たくさんの人々が集い顔をあわせる機会になったのではないでしょうか。

  今回ご紹介した写真のいずれからも、どこか懐かしいほのぼのとした雰囲気に包まれたお祭りの様子が伝わってきます。
  本当に良い祭りにすることができたと喜んでおります。ご協力いただいた皆様、ご参加いただいた皆様に心より感謝を申し上げます。
  明和義人祭、来年も開催します。わが新潟の素晴らしい歴史を伝える行事として、多くの方に参加していただけるように、より工夫を重ねて育ててゆきたいと考えております。

池田 弘