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三菱重工に入社し、長崎で造船業に従事。
しかしスポーツを生涯の仕事にしたい、という思いで転職を決意。
プロスポーツの現場を知るためにNSGグループのアップルスポーツカレッジに入学。
卒業後、大学にアメフト部を創る夢を持って、NSGグループへ入社。
大学スポーツの推進担当を経て、グループ全体の経営企画本部のスポーツ事業担当へ。
新潟をアジアが注目するスポーツ都市にしたい。
そんな髙橋さんが思い描く理想のフィールドとは?
東大から三菱重工へ、そしてスポーツを生涯の仕事と再確認
アメフトとの出会いはいつですか?
小学校2年生から高校3年生まで野球をやっていました。でも自分には向いていないのではないかと思っていました。高校の体育の時間にラグビーをやってみて、コンタクトスポーツが得意だと実感。大学ではラグビーかアメフトをやろうと思っていたところ、野球部の先輩がアメフト部にいたので誘われて入部しました。単位取得はもちろんですが、とにかくアメフトに集中する学生生活でした。大学院進学も目指しましたが、卒業後は、三菱重工業に入社することに。
何をきっかけでスポーツの仕事をしたいと考えたのですか?
入社後は長崎の造船所に配属。製造管理とスケジュールの制作・調整、安全対策などが主な業務でした。仕事は充実していましたが、プライベートでは、入社して1年間アメフトができずに、うずうずしていました。長崎にアメフトのチームがありませんでしたが、どうしてもやりたくなり県をまたいで福岡のチームに通って、プレーを再開。知り合いがいない地でもアメフトを通して多くの友人ができました。その時に、アメフトの素晴らしさ、そしてスポーツのチカラをあらためて実感し、スポーツに関わる仕事がしたいと思うようになり、キャリアチェンジを決意しました。
スポーツを実践的にに学べる専門学校「アップルスポーツカレッジ」に入学し、プロスポーツの現場を体験
自分を見つめ直し、本当にやりたいことを見つけて動き出したのですね。
そうですね。 振り返ってみると、思い出に残っているのはスポーツでの体験が多かった。またスポーツは先生のようなもの。いろんなことが勉強できます。しかしまだ日本のスポーツは育成や経営面などで改善しなければいけない点がある。それがなされれば、もっと素晴らしいものに。だから人生を通してスポーツに携わる仕事に就きたいと思いました。
なぜ、すぐに転職せずに専門学校に通ったのですか?
まず、スポーツを広く普及するためには、プロスポーツの現場を広く体験することが必要。そう考えていたところ、NSGグループの専門学校アップルスポーツカレッジに出会いました。学校に相談したところ、1年間アルビレックスのいろんなチームでインターン体験ができる、という回答が。そんな経験はここしかできないと決断し、2013年に新潟にきました。入学してサッカー、バスケットボール、野球、陸上競技などのチームに入り込み、事務から試合運営までを体験。本当に有意義な1年でした。その後、同グループの新潟医療福祉大学でアメフト部を作らないかというお誘いがあり、NSGグループに入社しました。
入社後はどのような仕事に携わりましたか?
2014年に入社し、最初は(学)新潟総合学園の企画部に配属。新潟医療福祉大学のアメフト部の立ち上げ準備と並行して、新設学部の企画などの業務を担当しました。仕事内容は素案を作り、学生確保の見通しの検討を行い、その後は教員の就任依頼、校舎の建設企画、文部科学省への申請書類の作成などです。学科が増えると共に学生も増えるので、地域が活性化されていく姿を見ることができて、やりがいを感じました。「アメフト部は課題があり、立ち上がるには至っていませんが、グループ全体のスポーツ事業に従事する中で引き続き目指していきたいと思います。」
チャレンジする会社で、地方創生大臣賞やラグビー部創部を成し遂げる
NSGグループでいちばん思い出に残っている仕事はなんですか?
アルビレックスグループを日本サービス大賞に応募して、「地方創生大臣賞」をいただいたことです。この賞は、新しい価値を生み出しているサービスを表彰するもので、私は「アルビレックスグループによる総合型地域スポーツクラブ」というテーマで、プレゼン用の資料をまとめました。アルビレックスは新潟県内を中心とした地域密着型のスポーツクラブで、日本で唯一、7種目のスポーツでジュニアからトップチームまでを整備し、世界レベルの選手を輩出している点をアピール。そしてスポーツを「する」「観る」だけでなく「支える」「繋がる」というニーズにも応え、新潟のスポーツ文化の醸成と地方創生に貢献していることを強調。それらが評価され、名誉ある賞をいただきました。短期間での資料作りは大変だった分、嬉しさは倍増でしたね。
スポーツ推進室へ異動。そこでは何を?
企画部で4年間勤めた後、企画部から独立する形で立ち上がったスポーツ推進室に異動。その部署では大学スポーツに特化して、各アルビレックス、専門学校、高等学校の全体の連携を推進。具体化した取り組みは、同じ法人の新潟食料農業大学のラグビー部の創部です。ラグビー界有数の名将を監督に招聘して練習環境も整備。注目され、全国から学生が集まっています。新潟の大学ラグビーが活性化すると、期待も膨らんでいます。その立ち上げに参加できたことは非常に嬉しい事だと思っています。
次から次にいろいろ企画が立ち上がるんですね。
NSGグループは一言でいうと「チャレンジする会社」。組織が大きいのに、歩みを止めず、夢を追いかけ挑戦し続ける。そして三振してもめげずにフルスイングして、ホームランを何本も打って、成長して今に至っている。こういう会社は日本全国を見ても、そうないと思います。その特徴は、私がいちばん共感しているところです。
新潟をアジアでいちばんスポーツで盛り上がっている街へ
現在はどのような仕事を担当していますか?
2020年に経営企画本部に異動。アルビレックス各社の事業推進や課題解決のサポートや、NSGグループのスポーツ事業全体を通してシナジーを創出するのが仕事です。
今の部署にきてよく考えるのが、「社会にとってスポーツの意義とはなんだろう」ということ。今まで新潟といえば、米、雪、酒。そこに今はアルビレックスが加わり、新潟の顔になりつつあります。アルビレックスを通じてスポーツと触れ合うことで、生活がイキイキとしてくる。そこがスポーツの意義であり、素晴らしさです。今後もそう思っていただくためには、「応援することで自分の人生がこう変わる」、「スポンサーになって応援することで企業自身や地域がこう変わる」と実感できるサービスや商品を作り、提供することです。それを愚直に継続して積み重ねていくしかないと思います。
これからの夢は?
新潟がアジアで一番スポーツが盛り上がっている街にしたいですね。新潟にスポーツを観にきたり、新潟を参考にするために学びにきたり…。アルビレックスを中心に、学校や企業とシナジーを生み出して、その実現を目指していきます。私は入社してスポーツを中心にいろんなことにトライしてきました。やりたい!と本気で考えた事を、グループは全面的にバックアップしてくれます。会社員として、また自分の人生を経営する意味でも、個人で活動していては難しいことでも、組織の力を使えば実現できることがあります。NSGグループは自分の夢を叶えるには理想的なフィールドだと思いますね。
その後の高橋孝輔さんの取り組み
アメリカンフットボールを通じた地域活性化プロジェクト。 「胎内DEERS」を通じて、 ホームタウン胎内市の活性化に挑戦。
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