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硬派な素顔と軽いフットワークで、グループの未来に向かって奮闘中
NSGグループ本部の経営企画本部に勤務する五十嵐智史さん。新卒で入社し、塾の講師としてキャリアをスタート。現在、グループ全体の経営企画に関わる部署で奮闘中の五十嵐さんに、これまでの軌跡や仕事への思いを聞きました。
キャリアを通じて少しずつ自分の世界が広がってきた
今、経営企画本部というところではどんなお仕事をされているのですか?
グループ全体の経営戦略を策定し、経営資源の活用などにおいて全体最適化を図り、グループのさらなる発展に繋げていくのが経営企画本部の仕事だと思っています。その中で、私自身は不動産開発を主に担当しています。グループ全体として、どこに、どのように、どんなものを開発したら地域の発展につながるのか。そういうことを、関係各法人や、ときには行政、他の企業さんと連携して考え、進めていきます。多くの人が関わる場合は、私たち経営企画本部がやり取りの窓口になったりします。
塾の先生として入社されたんですよね? 今は全然違うお仕事ですね。
そこがNSGグループらしい、いいところだと思っています。若い頃からいろんなことを経験させてもらいましたし、また、いろんなことを経験する場、チャレンジできる場をもらってきたと思います。
新大を卒業し、株式会社NSGアカデミーに入社して3年目に、南区の白根校で“校責任者”を任せてもらったんです。子どもたちを指導するだけでなく、塾の経営面も管理する役です。20代半ばでこういった仕事を任せてもらえるのはありがたいことだと思います。新たなことを学ぶきっかけにもなります。もちろん、わからないことだらけでしたが、いろんな方に聞いて、助けてもらいました。学ぶことを通じて、人との出会いも増えますし、大変だったけどいいこともいっぱいありました。
その後、NSGグループ本部の役員室に転籍となり、一つの学校、一つの企業からグループ全体という視点で考える機会をいただくわけです。役員室で約4年、池田代表・池田副代表の近くで、グループ全体詳細、グループ内外の関係性を深く知り、その後、現在の経営企画本部に異動となりました。本当にいろんな仕事を経験させてもらえて感謝しています。
せっかく仕事や職場に馴染んだのに、また別な部署、というのはきつくないですか?
自分が成長するチャンスと考えれば、きつくないですよね。仕事の内容や部署が変わっても、自分が積み重ねてきたものがムダになるわけではありませんから。むしろ、いろいろなことを体験することによって、過去の仕事に対しても考えが深まったりしますよね。
経営企画本部は、外出する機会も多く、また、外部の方と折衝する機会も多いんです。この仕事のおかげで視野を広げてもらっている感じはあります。
全く違う仕事の経験を自己成長に繋げる、自分の幅を広げる、一人一人がより大きくなることによってグループも大きくなっていく、それがNSGだと思います。
五十嵐さんは会社の仕事以外にも、にいがた未来塾や明和義人祭、新潟青年会議所(新潟JC)などでも活動されていますね。
はい。にいがた未来塾の事務局長、明和義人祭の実行委員、そして、新潟JCの活動でも参加者にはそれぞれ担当業務が割り振られます。忙しいは忙しいですが、こういった場では、普段の仕事ではなかなか会えない人たちにもお会いできるんですよね。にいがた未来塾では、将来への夢や希望を語り合える若い仲間がいますし、JCは異業種交流会といってもいいくらい、いろんな方と出会えます。それは私にとって一つの財産だと思っています。
当たり前のことを当たり前にきちんとやり続ける
常に前向きな五十嵐さんですが、へこむことはないのですか?
もちろん、ありますよ(笑)。仕事を続けていれば、停滞期もあるし、悩むことだってある。そういうときは、とりあえずぐっと我慢します(笑)。で、きちんと当たり前のことを当たり前にやり続ける。神様は絶対見てる。継続は力なり、です。
忍耐強い性格なんですね?
そうですね……職場で行われたストレスチェックでは、職場の皆さまのおかげもあり、「精神的ストレスはほとんどない」って書かれてましたね(笑)。私は福島の西会津町出身なのですが、山間の町で、何にもない田舎なんです。同級生は13人、うち男子は8人という本当に小さな学校で、野球やサッカーなどの人気スポーツは、人数が足りなくてチームが組めない。私は卓球部でした。小さな学校の小さなチームでしたが、福島県では会津地区優勝まで行ったんですよ。高校進学後も卓球を続け、会津地区優勝、福島県ベスト8の成績でした。
まあ、そういう環境で育ったせいで、忍耐というよりは、あるがままを受け入れる力が育ったのかもしれませんね。
福島から新潟へのIターンということですね?
まあ、IターンといえばIターンなのですが、西会津町は車で小一時間で行けるところなので、ちょっと隣町に来たくらいの感覚ですかね(笑)。大学進学の際、親から「国立でなければダメ」と言われていたのと、自分では数学をやりたいと思っていたので、新潟大学の数学科に進み、その後、新潟で就職、新潟で結婚して家族を得て今に至る、ということです。
ご家族にとってはどんな旦那様、どんなパパなのでしょうか?
いい夫、いいパパを心掛けています。家事もするし……洗い物、洗濯物をたたむ、トイレ掃除、風呂掃除、部屋の片づけ……もちろん、毎日というわけにはいきませんが、早く帰宅できるときはやってますよ。
子どもは娘が4歳、息子が去年生まれたばかりで0歳です。上の娘はパパが大好きだと思います。子どもって、この人は優しく遊んでくれる人かどうか、ってことを見抜きますよね。私のところには子供が寄ってくるし、娘だけでなく、他の子どもも「遊んでー」と声をかけてくるから、多分、いいパパじゃないかな(笑)。
NSGグループで得たものをいかにアウトプットしていけるか
仕事もプライベートもカンペキすぎませんか(笑)?
いやいや、足りないところはいっぱいありますが、いい環境にいるな、という感じはあるんです。塾の先生、塾経営、役員秘書、渉外、不動産開発、もう本当にいろんなことをさせてもらって、これぞNSGグループならではのキャリア形成を体験させてもらってる感じです。もともとは教育と経営に興味があったのですが、両方とも経験できているし、数学で学んだロジカル思考も生かせているのではないかと思います。
次はどんな仕事にチャレンジしたいですか? 今後の抱負と併せて教えてください。
NSGグループの資産・不動産活用として、どういったものが街に合っているか、また、どういったものがグループの発展につながるのかを考え、いろんな人の意見を聞きながら計画し、戦略を立て、プランを現実において構築していくという今の仕事が本当に楽しいので、今は、自身に課せられたさまざまなプロジェクトをきちんとやり遂げていきたいというだけです。今の仕事自体が自分にとってはチャレンジです。
今、私は30代半ばを過ぎ、NSGグループに勤めて16年目となったわけですが、いろんなことをここで学ばせてもらってきたので、それを今後はいかにアウトプットしていけるか、ということが課題です。また、これからNSGグループはさらなる発展に向かって行く中で、大きく変化を求められることもあるのではないかと思います。グループの素晴らしいものを受け継ぎ、さまざまな変化の波を乗り越え、そして次の世代に伝えていかなければいけない。自分にはその責任があるんだという気概と覚悟を持って、仕事に臨んでいきたいと思っています。
〈プロフィール〉
いがらし・さとし
1981年福島県耶麻郡西会津町生まれ。新潟大学理学部数学科卒。2003年、新卒で株式会社NSG教育ネットワークに入社。NSGアカデミー駅前本部校、白根校、新潟南本校などの講師を務め、小学部や中学部、高校部で教鞭をとりつつ、2005年からは校責任者も兼務。2012年NSGグループ古町本部役員室に転籍。2016年より経営企画本部に配属され、現在に至る。現在、業務のほか、にいがた未来塾事務局長、明和義人祭実行委員、新潟青年会議所会員も務める。家族は妻と一男一女。