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「いつかは、地元新潟へ」の思いを胸に秘めて。
友人の紹介で、自分のキャリアを活かせる新たな舞台へ。
住みやすさを実感した、我がふるさと新潟での暮らし。
NSGグループで、新しいチャレンジを積み重ねる。
Uターンして9年。新潟医療福祉大学を、日本一の大学へ。
本気の挑戦は、これからも続く。
着実にキャリアアップを図る中原さんが望む次なる一歩とは
(※所属およびインタビュー内容は、取材当時のものです。)
東京でのキャリアを活かし、念願のふるさとUターン
NSGグループに来る前のキャリアをお聞かせください。
新潟の高校から県外の大学に進学し、卒業後は東京の広告代理店の営業職に就きました。その会社では私立の中高一貫校のブランディングに携わり、学生募集に関するマーケティングリサーチや広告企画全般など、あらゆる業務を経験しました。10年ほど勤めた後、心機一転ナショナルブランドを扱うメーカーの広報部に転職。当時35歳で、仕事も充実していました。
どうして新潟にUターンすることになったのですか?
心のどこかで、「いずれは地元に帰りたい」という気持ちはずっとありました。そんな時、私の高校時代の友人が人材派遣会社で仕事をしていて、「新潟で今のキャリアを活かせる仕事がある」と紹介されたのがNSGグループでした。めぐり合わせというか、ご縁ですね。
入社の決め手となったポイントは?
まず100を超える法人の集合体という、事業分野の幅広さに魅力を感じました。それに加えてグループのスケール感、地元貢献度、チャレンジする風土も兼ね備えているところも魅力に思いました。そして新潟から日本全国はもちろん、アジアや世界に目が向いていますからロマンがあると感じました。
新たな交流を通じて様々な刺激、可能性の幅を広げる環境
入社しての率直な感想はいかがですか?
グループの方々と交流する機会がありますが、明確な目標を持ちチャレンジしているという印象ですね。私は今大学というフィールドで働いていますが、いろんな経験をされている人がグループにはいるので、話していて興味深いですし、刺激になります。私もグループを引っ張っていくような意識で務めなければいけないと思いますね。
ご家族は新潟の印象をどのように思っていますか?
長女・次男の双子が生まれて数ヶ月経った頃、NSGグループへの転職を決断しました。私以外の家族全員は東京生まれ東京育ちですので、慣れない土地で生活することに、抵抗はあったようですね。しかし住んでみると、「買い物が便利」、「ご飯が美味しい」など、生活インフラが充実していると家族は言っています。東京は魅力的な都市ですが、住むなら新潟。最高の環境だと思います。
部内の頭脳を結集して、大学の魅力をアピール
現在の仕事の内容を教えてください。
今は入試広報部長として、オープンキャンパスの実施やWEBサイト制作など広報全般の企画立案・実施、また、入試の制度設計・運営などの学生募集活動の全体統括を行っています。また、並行して強い組織を作るための人材育成にも力を入れています。
思い出に残っている仕事はなんですか?
私が赴任したときは、大学PCサイトのほか、携帯サイト(ガラケー用)しかありませんでしたので、スマートフォンサイトを作る仕事に従事させてもらいました。それにあたり、様々なセミナーに参加する他、進んでいる他大学のサイトを学びながら進めていきました。スマートフォンサイトが完成したら、次は分析機能を入れ、どこのページが見られているかなど、段階的にマーケティングを深めていきました。その後、WEBの総合的なアクセス数がグーンと増加しました。嬉しいことに、他大学さんからも注目されるサイトになりました。
仕事の進め方へのこだわりはありますか?
東京の広告代理店に勤めていた時、部下に一挙手一投足指示を出していましたが、1年間終わってみたら売上は微増でした。こんなに頑張っているのに、なぜ伸びないのだろう…。3人の部下がいたのですが、私の一つの頭でしか考えられてないことに気づきました。それではダメで、私を含めた部下全員の頭で考えることを、それ以来、意識するようになりました。現在は私を含めて19人の頭で考えることを実践しています。よく言うのですが、仕事(しごと)は「仕(つかえる)事」じゃなくて、「私(わたし)の事」、にするようにと。それを意識することで、発言もするし、責任感も出るし、充実感も持てると思います。皆そんな気持ちで仕事を進めくれているので、着実に結果が出ていると思います。頼もしいスタッフに支えられて、9年間歩んでこられたと感謝しています。
※撮影時のみマスクを外しています
楽しみながら、一生、教育に関わる仕事を
仕事で大事にしている言葉はありますか?
「知(ち)・好(こう)・楽(らく)」という言葉です。「それを知っている人より、それを好きな人の方が強い。それを好きな人より、それを楽しんでいる人の方が強い」という意味です。どんなにピンチでも、その状況を楽しもう。その方が、良いアイデアが出るし、突破力も生まれると思うので。その言葉を、自分の真ん中に置いて仕事に取り組んでいます。
これから、挑戦してみたい仕事はありますか?
“新潟医療福祉大学”を日本一のブランドにすることです。そのためには、教員は「教育と研究」に励み、学生はそれをしっかり学んで社会に巣立ち、「人間貢献・社会貢献」してもらうことだと思います。私が担うのはそれを誠実に続けられるよう、しっかりと大学を運営することです。大学は一般企業のように「ヒット商品が出て収益が倍増した」というのはありえない話ですから。やはり地道に、積み重ねていくことが、未来を創ると思っています。
その他にやってみたいことは、東京時代に手掛けてきたような、中学校・高校のブランディングですかね。他県からでもわざわざ新潟に進学したくなるような、独自の教育を行い、その特色を発信する仕事ができればと思っています。いずれにしても、「一生、教育に関わる仕事で社会に貢献する」。それが私の信念です。
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